当店イチオシ商品でもある、モスバーグ500。
レミントン・モデル870と並び、ショットガンの代名詞ともいえる一挺ですが、今回はモスバーグ社、そして500の歴史を紐解いてゆきたいと思います。
そもそも、モスバーグは「500」という名称で商標登録されているのを知っていましたか?モスバーグM500ではなく、モスバーグ 500が正式名称なのです。
500 は、まごうことなきアメリカン・ショットガンの象徴であり、「信頼性が高く、手頃な価格の銃」という理念を体現した1挺です。これは、一部の選ばれた人々のためだけに作られた高級品ではなく、むしろ一般の人々のために設計された、大衆のための道具の物語であり、100年以上にわたり、同社を導いてきた「廉価で、より良い銃を」という哲学が根幹にあるのです。

創業:O.F. モバーグ&サンズ
1886年にスウェーデンから移民としてアメリカにやってきたオスカー・フレデリック・モスバーグは、すぐに工具職人として頭角を現してゆき、1893年には最初の特許を取得し、他の銃器メーカーでの勤務を経て、1919年、54歳にして、2人の息子アイバーとハロルドとともにO.F. Mossberg & Sons (オスカー・フレデリック・モスバーグと息子達という、そのまんまな社名)、通称モスバーグ社をコネチカット州に設立します。

オスカー・フレデリック・モスバーグと息子達
モスバーグ社の初の製品は、「ブラウニー」という名の.22口径の4連発ポケットピストルでした。このピストルの販売により同社は、お手頃な価格で高品質かつ機能的な銃器を製造するという評判を獲得し、この「価値と信頼性」の哲学が、後に500の基礎となります。

ブラウニー・ポケットピストル
1937年、70歳で創業者のオスカーが死去したあとは息子のアイバーが跡を継ぎ、軍用銃の部品製造を受注するなどして、事業を拡大してゆきます。
1947年には、同社として初めてとなるボルトアクション・ショットガン、モデル183Dを発売。のちの1959年には、パロミノ・レバーアクション・シリーズ初のモデル400を発売します。
アイコンの誕生:1960年代
そして、1961年、ついにモスバーグ500の開発がはじまります。その明確な目標は「シンプルで信頼性が高く、手頃な価格のポンプアクション式ショットガン」を創り出すことであり、デザイナーのカール・ベンソンがその任務にあたりました。
当時、一番人気のショットガンはレミントン・モデル870で、滑らかかつ信頼性の高いポンプアクションを実現するデュアル・アクションバー・システムを特徴としていました。この機構は当時レミントンが特許を持っていたため、初期の500はシングルアクションバーでした。モデル870ほど頑丈ではなかったものの、500は機能的であり、モスバーグが市場を切り拓く足がかりとなったのです。

発売当時の500の広告
500の最大の特徴は、ハンマー内臓型のポンプアクション設計と軽量なアルミニウム合金製レシーバーです。コストを抑え、銃全体の重量を減らすための革新的デザインでしたが、当時、多くの人々はスチール製フレームこそが「本物の」銃だと考えていました。しかし、モスバーグのエンジニア達は、ボルト・ロッキング・ラグが直接バレルの切り欠きにロックされ、発射時の反動をフレームではなくボルトが吸収する設計を採用し、アルミニウム合金製レシーバーでも十分に耐久性があることを証明したのです。

500のバレルにロックした状態のボルト
もう一つの特徴は、セーフティの位置です。当時の多くのショットガンがトリガーガードの近くにセーフティを配置していたなか、500はレシーバー上部にタング・マウント式セーフティを配置しました。利き手を選ばず、直感的に操作できるため、多くの射手に好まれることとなりました。

左右どちらの手でも操作が容易な500のタング・マウント式セーフティ
更に、500は簡単に分解してメンテナンスできるように設計されており、工具なしでバレルを交換できる利便性により、1挺の銃を鳥猟用から鹿猟用へと簡単に変更でき、非常に多用途な銃としての運用を可能にしたのです。

多様なバレルラインナップを有する500
いずれも現代のポンプアクションショットガンではごく当たり前となってしまった仕様ですが、60年代当時では革新的なアイデアだったのですね。
後編に続く
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